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アーカイぶログ(エナ文庫部)

kimitaka.enari.jp

お仕事としての記事

ヘラブナバカ一代 第3回
を執筆しました。
9/14に、以下のスクール講師をやってきました

ヘラブナバカ一代 第2回
リレーコラム その39
を執筆しました。広告が出ているスクール講師も引き受けました ⬇

新連載コラム「ヘラブナバカ一代」
を執筆しました。
これでレギュラーライターに復帰となりました。

特集②四冠王者の渾身インタビュー
を執筆しました。ちょうど一年ぶりにライターの仕事をしました。

特集②上尾園が60年の歴史に幕を下ろす
を執筆しました。これを最後に、私もレギュラーライター卒業です。

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オマケ

「へら専科」執筆中のご縁で、箕輪氏へのコーチングの依頼がありました

書いている人

Kimitaka Enari/江成 公隆/えなり きみたか/エナリ キミタカ

横浜市在住。1970年生まれ。既婚。息子二人。最終学歴は神奈川県立多摩高校卒。一位もビリもただの人・理論なくして釣果なし・ニュートラルを掲げるヘラブナ釣りクラブ、ナリーズ主宰。一時の情熱は醒めたがパソコンオタク、Macヲタでもある。Windowsどころか98やMSX以前の、PC-8001、6001(パピコン)続きを読む

座右の銘(ホンマかい?)

新ブログ

365

1年の沈黙 前回の投稿からちょうど1年。今年も大晦日の更新となった。忘れていた訳でもサボっていた訳でもなく、意図的に更新

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親父の遺言

ボケる前のそれ 遺言というにはささやかなものなれど、死んだ親父は息子宛のメッセージを残していた。2006年に書かれたもの

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シンクロ

貴重な動画 前回のシェア(11/10ブログ&11/12Facebook)からの流れで、YouTubeでは小池氏の動画がレ

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巨星墜つ

SNS時代初・重鎮の訃報 小池忠教氏が亡くなった。ヘラ業界では間違いなく一時代を築いたスターであり、一読者であった僕にも

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10月も終わり

弱肉強食? 仕事は溜まっているので、ブログを更新する時間などないのだけれど、10月が0本というのは許せずにキーボードへ向

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トラブルの連続

いまだかつてない忙しさに身を置く SNSでは誕生日を隠したので、面倒なお祝いメッセージが届かなくなって随分経つ。ラクだけ

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過去に書いたもの置き場

紙媒体、新ブログ(旧)は未OCR・オール生データのため要ブラウザバック

へら専科(現在進行形)

現時点では転載が叶いませんので、記事タイトルとAmazonへのリンクを掲載します。
※自筆記事のみで、編集に関わった記事は除外(ペンネーム記事は掲載)

Coming Soon

Coming Soon

Coming Soon

Coming Soon

Coming Soon

新ブログ(旧)

新ブログの旧ってなんだよって感じですが、サーバ引越し前、直近のブログになります。前ブログがサラリーマン時代、このブログから起業後の時代、ということになります。ブログの中でも触れていますが、ポートフォリオ的な意味も込めてリニューアルをしました(今回さらに引っ越したわけですが)。実際にリニューアル後半年ほどで執筆依頼があり、それは現在まで続いています。現在のサイトデザインは、新ブログ(旧)を踏襲しています。5年ほど使ったCMSからWordPressに移行。

MADOGIWAのMacで書くブログ(改)

旧・新ブログの前に、同じURLで稼働させていたブログの過去ログになります。こうしてみると、次のブログまで3年ほど放置していたことになりますね(Facebookでは積極的に発信していました)。タイトルは以前の友人サイトのパロディで、元々漢字で窓際〜としていたものを、友人のハンドルネームに倣ってローマ字表記に置き換えたものなので、「改」でした。「enariという底釣りバカ(カッツケも大好き)なヘラウキ作者(大昔遊びで)が、ヘラブナ釣りとどうでも良いことを熱く語る妙なブログ!」というサブキャッチをつけていましたが、これも友人サイトのパロディでした。「改」前のデータは保存していませんでしたが、底釣りゼミのシェア記事が数本だったと思います。

エナリのイロメガネ

未完成のまま終わった元サイトへの寄稿です。元サイトは公開と非公開を繰り返しており、不安定なため転載しています。元サイトはいずれ閉鎖するものと思われます。削除依頼は特にしていませんが、今後の元サイトでの更新もありません。へら鮒での連載が終わってから6年間、前半は仕事に過剰なやり甲斐を見出してしまった時代。東日本大震災を境に、自分の中で何かが変わってしまった後半は、自己犠牲精神に酔って失脚、傷心を癒やすために釣りに回帰。そして寄稿するまでに再び夢中になった、という時系列です。

江成公隆のトーナメンター、復活への道。

月刊へら鮒2002年7月号〜2008年12月号まで、78回にわたって連載された記事のPDFになります。執筆当時、二人の息子は幼児でした。開始当初、長男は1歳を過ぎたばかり。次男は途中で誕生しています。それぞれ大学生と高校生になっています。長男は21年に成人しました。連載期間の6年半は長く濃密な時間でしたが、終了からすでにその倍の時間が流れていることに驚きを隠せません。連載の中で釣りのツの字も出ない月があり、読者の皆様からの批判も多かったと聞きます。その度に盾となってくれた編集長を、情熱の低下を理由に一方的に裏切る形で最終回を迎えたことは、一生忘れることはありません。復活も出来ない、挑戦もしない、そもそも始まってない。はい、まったく反論できません。

【株式会社へら鮒社 御中】
時代を感じていただけるよう、表紙・裏表紙・目次をお借りしました。また、数本は代打をお願いした自著ではない記事も含まれますが、前後の繋がりを考慮し掲載させていただきました。何卒お許しいただけますように。

エンジョイフィッシングレポート

月刊へら鮒1996年3月号〜1997年10月号までの20回。マイナーな趣味と言えども全国的に出回っている商業誌に寄稿するのは人生初でした。読者投稿という形で原稿料などは発生しませんが、大変に光栄に感じたものです。取材される立場は前年に経験済みで、自分で書くなんて「格下感ハンパね〜」と感じたのも本当です。最初だけですけどね(笑)。書けるアングラーは貴重なんだという自信というか気付きは、この時代に得ました。作文に苦手意識はなかったものの、ちゃんちゃら笑っちゃう文章です。それでも、釣りジャーナリズムの未熟さが将来の業界を危うくするだろう、という意識の芽生えを感じる原稿もあります。ただ、26〜27歳の僕は、次第に仕事に忙殺されていきます。最終回の翌98年には、ライバル誌であるへら専科の企画に半年間出演してしまうのですが、釣りから遠ざかりつつあったのは確かです。結婚、失業、転職、マンション購入、長男誕生。2002年まではライフイベント目白押しの季節で、余暇は自宅に引きこもって手軽に遊べるネットとMacでした。いま思えば、この時代が現在に活きています。釣り目線で言えば、燻っていた時代と言えますが、人生に無駄なものは何ひとつ無いのだとつくづく感じます。

【株式会社へら鮒社 御中】
時代を感じていただけるよう、表紙・裏表紙・目次をお借りしました。何卒お許しいただけますように。

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