スレについての考察2022

内か外かに関係なく、バイトはバイト

まず、タイトルの「2022」について説明しておきたい。スレに対するスタンスは、僕の中では結構変遷があるからで、「スレについての考察2021」や「2020」が、このブログの過去にあったわけではない。なので、変遷(葛藤)も過去から引き出しつつ、現時点での自分の箪笥整理をしてみたいと思う。

正直、自分のイマがスレ容認派なのか否定派なのか、即座にわからなくなるほど常に考えてきた。SNSか雑誌媒体かどちらか不明だが、最後にこの話題になった際は、「スレありでも良い」としたような記憶があるが、ちょっと自信がない。もしかすると、両方を推す論拠を示し、「結局迷ってる」としたかもしれない。いや、やっぱり「スレなし」と書いたような気もしてきた。

へら専科2022年9月号に執筆した記事「お魚博士にアレもコレも聞いてみた」では、記事の最後に「半ベラだってええなじゃいか!」というくだりがあるが、原稿の時点では「スレだって半ベラだって」となっていた。それが字数調整でカットされているので、自分では尚更わからなくなるのだ。

今回この記事を書くことになったキッカケは、「」の近野さんとのへら専科インタビュー(11月号掲載予定)で話題になったからで、原稿にはならないオマケ部分だからブログにしているのである。原稿はまだ書いてないけど(笑)。

近野さんとの話では、「敷居を下げるために、スレありだって良いじゃないか。ただし上級者のトーナメントではスレなしで」ということになった。幼い子供やビギナーがやっと釣り上げた1枚に対し、「それは食ってないからダメ」と切り捨てるのは、「大人気ないんじゃないか」ということだ。ヘラブナ釣りを大人気にしたいならば。僕はこの案に賛成である。そしてこの先で、結論となる。

そもそも他魚種では、「スレなし」というルールはない。「食いに来たのだからアリ」なのだ。「バイトはバイト」という論法。もっともだと思う。ただ、大量に寄せて釣るヘラブナ釣りでは、間違って引っ掛かる可能性もある。そこをどうするか、だ。

スレ容認派になりきって考えてみると、「そのタイミング(取り込めればバイトとされることになる)で、そのヘラがエサ玉に向いていなかったとしても、『粒子の拡散範囲に寄ってきた=食いに来た』と解釈することは可能」というロジックが思い浮かぶ。かなり強引だが、「寄り」も、広義ではバイトなのだ。

このタイミングで、目の前の水槽で凄いものを見てしまった。ヘラブナは口の正面にないエサまで吸い込もうとするのである。いや、5年以上ヘラを飼ってきて、初めて見た光景のはずはない。振り返ってみれば、何度も見てきたような気がする。しかし、いま飼っているのが10センチ未満の新仔達だからこそ、軌道からの外れっぷりが際立つのだろう。

Aは正面だし、僅か2〜3センチの距離である。ウチのチビを尺ベラに置き換えれば「エサ玉との距離ゼロ」に見えなくもないが、小ベラではそう見えない。体長と相対的に考えれば、かなり遠いと言えるからだ。だとすると、吸い込みきれずにハリだけが口に入らずカラツンになる可能性を想像できるし、そのハリが口周り(外)にフッキングするのも想像に難くない。

BやCは当然に、ハリだけ取り残される可能性が想像できる。Aより吸い込みの水流は弱いし、無理な角度だろうからだ。ハリが抜けなくても、着地点がハナっ面であったり、アッパーだったりは有り得る(食い損じ)。実際、ハナっ面に当たってからのリバウンドを捕食する光景は見た。

最終的に口に入ろうがスレようが、これらは明らかに狙って食い(バイト)に来た結果だ。たまたまそばに居たヘラが引っ掛かったものとはレベルが異なるが、水中カメラで見ない限りは、たまたまと区別できないのもまた事実だ。

ちなみにD。本題と少々ズレるが、魚眼の視野は人間の想像を超えている。ABCを捕食後に、反転してDに一直線に向かうことなど、ヘラブナにとっては朝飯前だ。すでに食事中なので「食前」というのはおかしいが。

エサを拾うために下を向いているヘラに、執拗につきまとうヘラ。猛烈な競争心が奪い合いを生み、その結果「せっかくのバイト(食い)」が不完全なものになるケース(スレになってしまう)は多々発生する。これを「不可抗力」とするのか、そうしないのかは、この先を読み進めて一緒にお考えいただきたい。そしてもうひとつ。水槽の仲(中)は3匹しかいない(譲り受けた5匹中、1匹死亡、1匹病気で隔離中)が、この大騒ぎである(底釣りと言える状態で)。カッツケを嫌う人の大半が、水面のガチャ湧きを理由にするが、水中はどのタナでも同じである。でなければ釣れない。であれば、カッツケはスレが多いというのは間違いだと気付けるだろう。メーター規定の是非を含め、このテーマはまたあらためて整理するが、タナが深ければ深いほど通過する層が広いために引っ掻く率が上がる。論理的に考えれば当たり前だし、実は皆さん実感済みのはず。

ヘラ釣りでは、スレはなぜ禁止なのか

そもそも、ヘラ釣りは最初から「スレなし」というルールと共にあったわけではない。へら専科2021年5月号の記事「浜田優はなぜ、カリスマなのか?」から引用すれば、スレ禁止への移行は1980年代に起きたことになっている。移行期のアングラーの中には、ある日突然の「ナシ」を受け入れることができなかった人も多いと思う。気持ちはわかる。しかしそれから、40年経っている。

現在の大半の釣り場では想像もできないような濃い魚影の時代では、「ギャング釣り=あからさまなスレ狙い」を封じる必要が生じた。冗談抜きに、小ベラがタタミ三畳ぶんくらい湧く釣り場も存在した(90年代前半)。100枚釣っても20キロ行くか行かないか、30キロあろうものなら「でけぇ!」という世界線だった。

しかも、現在のような増粘剤を多用する方法論は知られていなかった時代。容器入りの増粘剤など販売されていなかった(厳密に言えば、粘りを増す粉剤は売られていたが、使用は一般的ではなかった)。イマドキのアングラーなら、水面にウキを立てることすら難しいだろう。

エサ合わせを放棄してでも「寄せたもん勝ち」な状況はケシカラン、というのは理解できる。ヘラ釣りは漁ではないのだから。しかしこの考え方は、「寄りもバイト」論者には通用しない。今もスレ入れ問題が消えない原因のひとつである。「だって食いに来たんだから」という心理は、身勝手なルール変更に誘惑する。

最近のことだが、あるトーナメントで、アッパーを「食い」だと堂々と審判に抗議した人がいた、という噂を聞いた。「こっそりスレを入れているならまだしも、違反している自覚すらなく、ついに正義にまで昇華させてしまったか」と、ちょっと感心してしまった。スレの「一般的な」定義を知らないはずはない。初めてヘラ釣りをするビギナーでもない限り、知らずにこの趣味を続けるのは無理だ。ましてやトーナメント参戦など有り得ない。

ルールのある大会で、マイルールを通そうとする精神構造には問題があると思うし、個人的には、マトモに相手できる種類の人間ではないな、お友達にはなれないな、とは感じるが、彼をそこまで追い詰めてしまった状況には大いに興味がある。以下想像。

承認欲求は誰にでもあるものだ。だから技術の研鑽に努めたが、おそらく上達は叶わなかった。そこでスレを開き直ることしか(記憶を改ざんしてマイルールを信じ込むことしか)、彼のアイデンティティーを守り抜く術はなかったのだろう。

競技(対人)の外に視野を広げることさえできれば、また違ったヘラ釣りとの関わり方で彼の心を満たす道はあったはずなので、実に残念だ。と同時に、トーナメントってバカを量産するからくだらねぇ、とも思う。いつまで既存のルールでやってんだよって。すでに破綻してんじゃんって。自分もさんざん夢中になったし、競技が釣技の進歩に貢献したことも承知の上でね。

話を戻せば、「寄せたもん勝ち」はスレ禁止のルール下においても有効なメソッドであり続けていることも問題である。程度の差こそあれ、「隣に寄せ負けしないだけのエサの量とリズム」は正義として語られているし、今も物量作戦の上限は設けられていない

これは、戦争で民間人の殺害は禁じられていても、武器の制限がないのと同じである。核ミサイルの使用が封じられていなければ、民間人殺害禁止など絵に描いた餅だ。人間は誘惑に抗えない弱い生き物だし、くそデカいバラケエサは、両隣を確実に殺す。ヘラブナ釣りは、紳士協定があるようでない、まだまだ未熟なスポーツなのだ。

多くのアングラーの間で、ヘラを寄せる秘密のエキス(媚薬系)に対する関心が小さくないのも、寄せた先の展開を軽んじている証拠と言えるだろう。個人的には、寄せるまでのプロセス(ポイント選定は除く、あくまでテクニカルな部分の話)よりも寄せた後の料理法の方が、何倍も深い世界だと思っているが、そう考えていない人が多いと感じる。

口に入るか入らないか、瀬戸際の意味

「寄りもバイト」論者を論破することはできないが、スレ入れの誘惑に負けそうな(あるいは葛藤の末にたまに負ける)、まだ暗黒面に堕ち切っていない迷えるアングラーになら、贈りたい考察がある。

ダンゴ釣りの話になるが、それは口周りと口の中が持つ意味の差だ。先ほどは食おうとした(バイトした)結果の口周りの可能性(食い損じ)を否定しなかったが、エサの目前ギリギリまで「食いに来たけど食いきれない(結局食ってない=エサ玉を吸い込んでいない=見てるだけ)」状態でスレる可能性も否定していない。

つまり、エサ玉を口にしていないヘラを、たまたま釣り上げられたからといって釣ったことにして良いのか? 食い損じのスレと区別できないからといって、「エサ玉を口にさせられない、あと一歩の状態」で満足してしまって良いのか? ということだ。

ダンゴ時合=距離ゼロのセット時合」というような、ダンゴ釣りとセット釣りの関係性、いや、ヘラ釣りを成立させる根幹として「生態的に見ても、ヘラの活性に応じた粒子に対する距離がこの釣りのキモ」だと明確になった現在、寄せようと思ってダンゴを開かせれば、ヘラが遠巻きになって芯(エサ玉の)にアタってもらえず、食わせようと思って(ヘラを近づけさせようとして)ダンゴをシメれば、ヘラを寄せきれないというジレンマの存在に気づけるはずだ。

その微妙な接点を探り当て、もしくは寄せる投と食わせる投とを織り交ぜて、どうにかこうにか食わせようと試みる横で、「開いているから寄りは保てるが、エサ玉ギリギリまでは近づけさせられない(いわゆる『ギリギリで持ってない』)」エサで、口周りアリで釣られたら、とても敵わないのである。

口に入るか入らないかは、ダンゴかセットか、という釣り方の分かれ目と言える。その境界を越えたところで、「ない」はずの釣りが成立してしまうのだから、言わせてもらえれば、「基本的にちゃんと食わせているが、たまたまのスレを捨てられない人」より遥かにタチが悪い。ハナから食わせる気がないんだから。せっかく釣り人との駆け引きに応じてくれているヘラを冒涜していると思う。

そんな理由で隣で負けても悔しくはないが、自分がエサ合わせを途中で放棄して(未完で)満足するなど、求道者ならプライドが許さないはずだ。口の内と外では、価値がまったく違う。勝敗にこだわるプライドの前に、勝ち方にこだわるプライドを持つべきだと僕は思う。上手くなりたいんでしょう? 極めたいんでしょう?

ここではダンゴを例に説明したが、セットでも同じだ。拡散範囲とヘラがステイする位置までの距離を見誤り、もしくはアタリを伝えるテンションをハリスに対して確保しきれていない状況で、口周りのスレをアリにしてしまったら、セッティングをきっちり合わせる必要がなくなってしまう。

寄せるだけ寄せて、口周りだけでなく「バレなきゃケツでも腹でも入れてしまえ」。それには取り込みにテクニックが必要だ。そして、沖からヘラを滑らせないよう、タナはできるだけ深いほうが好都合。そんなことを考える暇があるのなら、真面目に勉強しろ。そう言いたい。

僕が思うに、先人達がここまで熱く説いていれば、現在のトーナメントシーンはもう少し違ったものになっていたはずだが、それは少々酷なお願いだったのかもしれない。

スレありのままの野釣りと、トロコン使いの矜持

粒子の拡散範囲が大きいほど寄せが効くという考察は一般的であっても、どこまでシメたら寄りが保てなくなるのかという考察は、残念ながら昭和の先人達の頭から抜け落ちていた。なぜならヘラが濃いあまり、基本的に居なくならなかったからだ。

日並みが良ければ真冬でもダンゴで釣れた時代。渋ってもセット釣りにすればゲキカラがもらえ、カラツンはすべて、「バラケにアタッているため」と片付けた時代。だから大昔のセットの解説は、いま読むと辻褄の合わないもの、もしくはパターン別の対処は同じでも、理由付けが違うものが結構ある。

基本的に「距離ゼロ」であれば、口周りのスレに対して「エサが未完」という認識を持つことは難しい。平成以降の大型ブームで魚影が薄くなり、セット釣り全盛時代を迎えてから、ようやくダンゴ釣りが切り取り直された。それが、さきほど書いたダンゴ釣りとセット釣りの関係性だ。だから、先人達にさっきのようなお説教(諭し方)はできなかった

それでも、一部の名人はそれなりに理解していた。当たり前だ。僕ごときが独りで考えて導けるような代物ではない。一度は廃れ、一周回ってトロコン用の新製品が発売されるような状況の今だから言えるが、昔のトロコンの使い手と、ダンゴ師の間には、大きな溝があった。

単純にエサの優劣を競い合うようなレベルではなく、トロコンファンは、ダンゴ師をバカにしていたところがあった。ここだけ聞くと、「感じの悪い釣天狗」という話にしかならないが、きちんと理由があった。「ダンゴの奴らはエサ合わせがアマい」。

極軟でもタナまできちんと持たせられることを重視していたトロコン使いの彼らは、ペトコン(極軟のネバダンゴ)ではエサがギリギリで持たず、口周りのスレになる確率が高いことを知っていた。持たせようと思えばペトコンより硬くなり、カラツンの確率が高まったり、最悪寄せ不足になったりすることを知っていたのだ。

なぜなら、一般に「寄せすぎないためのエサ」と認知されているトロコンを、彼らはそんな目的で使ってはいなかったからだ。前述のように彼らが極軟に拘ったのは、ダンゴ同様にカラツン対策だ。麩が入れば入るほど(ダンゴに近づけば近づくほど)釣りもタナもボケることは知っていたので、麩は極力減らした。エサ玉のバラケ具合を麩で調整するのではなく、開きや膨らみの異なる昆布を組み合わせた。これが、「◯年もの」の古く(弱く)なった昆布が必要だった理由である。その結果、寄せ効果が低かったに過ぎない。

当然、魚影が濃かった時代においても、彼らの通常のトロコンでは寄せきれない時合いがあり、どうしても麩を多くする必要に迫られる局面もあった。そのときの試行錯誤で、ダンゴの弱点にも気付けたのだ。

そしてもうひとつ、トロコン使いがダンゴ師を毛嫌う理由があった。野釣りではスレ禁止にならなかったこともあって、「あと一歩」のエサで釣りが成立してしまうことが、「決めにかかる(ので、ある程度の寄せも必要な野釣りではなかなか通用しない)」トロコン使いには許せなかった。「今日のエサはダンゴです」と言った瞬間に、「なんだインチキ野郎か」と吐き捨てられたこともある(マジです)。

ダンゴ師はダンゴ師で、トロコン使いをバカにしていた。「麩での調整から逃げた臆病者」だと。これが、おそらくメディアで全く語られてこなかった、往年のダンゴ師vsトロコン使いという対立構造の真相だ。

所属クラブで学んだこと、これからのこと

僕の先輩には強烈な方が多かった。最近よく口にするのは、若い頃、同時期に等々力に通っていた岡田くんやハギちゃん、スギタツなどの名前だが、それは一般ウケしやすいからこその選択であって、そこまでの知名度がないながらも、強烈なワザとキャラを持った先輩は沢山いた。

K島 充というトロコン使いの名手が先輩にいて、若かったのもあってザ・釣天狗といった感じのクソ野郎(冗談ですよ)だったが、後に仲良くなった。今はどうしているのかわからない。会いたいなぁと思うが、ケータイ普及以前の知人というのがネックで、連絡先が不明だ。

その先輩は、ダンゴ師が大嫌いだった。僕が明確なアタリが出やすい超短ハリス使いだったからこそ、ダンゴがメインの僕とも話をしてくれたのだと思う。やがて、ダンゴのみならずセット釣りの情報交換もした。後にセット釣りで、仲良くJC予選を突破することになった。セット釣りではまだまだ黎明期といえた93年のことだ。

同時期、僕は野釣り専門のクラブにも在籍していた。今はなき、名門・北斗へら鮒会である。他のクラブは知らないが、少なくとも北斗には、小◯ 充先輩の言うようなインチキ野郎はいなかったと思うし、ダンゴ道をひたすら究めんとする猛者揃いだった。しかしガキだった僕自身には、「スレありだし、沢山寄せてやれ」という色気があった

すると、

テメェよぉ、ゴールデン(やはり当時に所属していたハコ釣り専門のクラブ)でもそんなデケぇエサ打つのかよ? スレありだからってナメてんじゃねぇぞ? 野釣りだって『居るヘラ』に食わせてナンボなんだよ

と、隣のボートのT先輩からたしなめられた。というより恫喝された(笑)。本職ではないと思うが、風貌も怖かったナァ。今思えば、ありがたい言葉だったとしか言いようがない。スレありというルールの中でも、極力紳士的に振る舞う。めちゃくちゃカッコ良かった。

ただ僕は、さすがの北斗とはいえ、会員間の温度差があるだろうとは感じていた。全員がTさんレベルではないはずだと。とすれば、「やはり野釣りもスレ禁止にすれば良いのに」と思った。しかし広い湖面に会員が散り散りになる例会では、視界に他人が入らないこともあり得る。誰も見ていない状況で、ルールを守れるだろうか。いや、無理だ。

それがおそらく、野釣りがいまだにスレありの理由だ。性善説ではなく性悪説を採用している。対してスレ禁止の管理釣り場は、性善説で成り立っている。しかし実際は、不正が後をたたない。そうなると今度は、「管理もスレありに戻そうよ」と、僕は考えた。

だが、「たとえ審判がいても1枚1枚を全ては見切れない」というような理由で、スレを解禁するのは違うなとも思った。これは人間に対する諦めだからだ。そもそも性悪説とは、最後まで悪なのではない。悪からスタートするが、修行を積んで善を目指すもの。

スレを解禁し、「口に入るか入らないかの瀬戸際の意味」を無にすることは、釣技発展の歴史で見れば大いなる逆行になることも、解禁に反対したい大きな理由だ。では、僕はスレを全否定するのか?

いや、人間だから、魔が差すこともあるだろう。僕だって、際どい食い方で葛藤したことくらいありますよ。食っているようにも見えるし、スレにも見える困ったやつ。でもそれはもう、スレなんですよね。それでも迷った末に、フラシにインしたことだってあります。競技に夢中だった若い頃にね。でもそれじゃぁ、後味が悪いんですよ。フツーのメンタルでは、そこから釣りが狂って結果もついてこない。

間違った考えに染まることもあるでしょうよ。それでも、よほどのことをしでかさなければ、キチンとやり直せる。ヘラ界は、そういう世界になるべきだと僕は思う。現時点では遊びでしかないんだから。その上で、敷居を下げるためにスレを解禁する。ビギナーは楽しく釣りができるし、ベテランでも求道者になる気がないなら気楽だ。

そして、選ばれた上級者しか参加できないトーナメントこそ、スレ禁止にスレば良い。普段スレありでやっていて、「いきなりスレなしは無理レスぅ」とかいう声が聞こえてきそうだが、そんな低レベルの話ではない。

「スレなしのステージ」に出られることがステイタスである。そのために日頃から、「アリなのにナシで練習」をする。本気で求道者となるならば。そういう世界にしないといけないと思う。これが、スレに対する2022年の僕のスタンスざんす。

名曲「スレなしのステージ」

アリなのにスレナシですか…

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