シンクロ
貴重な動画
前回のシェア(11/10ブログ&11/12Facebook)からの流れで、YouTubeでは小池氏の動画がレコメンドされまくっている。中でもコレは、時代考証的な観点のみならず、政治的にも釣況的にも、イマじゃ考えられない奇跡のような貴重な動画なので必見だ。
まず驚くのは、講師が今はなき(メーカーも講師も)ふまつげんインストラクターのビデオでありながら、生徒役にマルキユーインストラクターがいることである。モニターではない。当時すでに現役インストラクターである。
動画当時のマルキユーは、ふまつげんと熾烈なシェア争いをしていた筈だが、当時のマルキユーの懐の深さなのか、ビデオ販売元のへら鮒社(の創業社長)の力なのかは不明だが、ものすごいコラボだと言える。これはたとえばトヨタの動画に、ニッサンのドライバーが出演しているようなものだ。メーカー間の垣根など、イマより昔の方が無かったのだ。
もっとも、エサはほぼ独占市場になっている現在は、パワーバランスもへったくれもない訳で、マルキユーは弱小メーカーへ圧力を掛ける必要さえないだろう。横綱相撲をしていれば良いからだ。
生徒役というのは、普通に考えて「格下」を意味する。「役」である以上は演技であり、リアルに格下かどうかは別だが、そこまで想像できないお馬鹿な視聴者も確実にいる中で、よくぞ受け入れたと感じる。しかし、これはマルキユーの戦略だったのかもしれないとも思う。
実際のところ、生徒役は当時すでにビッグネームとなっていた方ばかりだ。インストラクターの肩書きがない方も1名出演しているが、プロのウキ作家であり、競技会での実績は他のメンバーに引けを取らない。
当時、マルキユーは初・中級者向け、上級者になったらふまつげんというような空気があった。マウンティングは世の常人の常であり、優越感に浸るのは結構だが、ピラミッド(市場)の大半を占めるのは初・中級者である以上、ビジネスとしては、ふまつげんは胡座をかいていて良い状況ではなかった。そうした時代背景の中、マルキユーがじわじわとふまつげんのシェアを侵食していく真っ最中(すでに逆転していたかも)の動画であり、雌伏の時と位置付けたマルキユーには屈辱にも耐える覚悟があったのではないか。
おそらく台本の無い収録だったのだろう。まだ若い生徒達に、プライドが邪魔をして役を演じ切れない様子が垣間見える。講師と同じふまつげんのインストラクターが生徒側にもいるのだ。しかし、マルキユーインストラクターの生徒役は徹底的に謙虚だ。講師も気を遣っているように見える。これは明らかに異なるメーカー間の遠慮だろう。
3人の生徒はそれぞれ、御三家と言われた関東へら研、浅草へら鮒会、北斗へら鮒会に所属しており、当時の年間優勝を争う立場にいる逸材揃いである。メーカーではなく、クラブのパワーバランスで見た場合には、とても気を遣った人選だと言えるが、実は3人とも五月へら鮒会にも所属している。これが3人の、いや、講師も含めた4人の共通点だ。
五月へら鮒会もまた、御三家同様に歴史ある名門クラブだ。同会のことは詳しく知らないが、犬猿の仲であった御三家の会員を横断的に束ねる立ち位置にいたことが、おそらくアイデンティティであったと想像できる。
しかし、この動画に出演しているマルキユーインストラクターの若者が、後にマルキユーの主役になれていない(ように見えた)ことを考えると、動画出演も人脈も、メーカーとしてはやはり面白くなかったのかもしれない。
いや、その若者がメーンで出演していた「月刊へら」の廃刊も不運だったのだろう。五月へら鮒会関係者からしたら残念なストーリーである。後に石井忠相氏が台頭し、マルキユーの看板インストラクターとなるまで、同会は鬱憤を晴らすことができなかったのではないか(彼はマルキユー勢としては珍しく関東へら研に所属していない、生粋の五月人間である)。
スター達の道具
講師、生徒が使用しているウキに目をやれば、全員碧舟系列である。講師と生徒役のふまつげんインストラクターは碧舟ユーザー、ふまつ派のもうひとりの生徒は碧舟門下のウキ作家、マルキユーインストラクターが使用しているウキは、碧舟門下の旭舟となっている。
周知の事実であるが、先ほど名前が出た石井忠相氏は初代碧舟の息子さんであり、忠相作者だ。講師もマルキユーインストラクターの生徒役も、後年に忠相ファミリーとなっている。
竿掛けなどはどうか。一見して〇〇作とわかるような道具立てではない。必ずしも玉の柄と揃えで使っていないし、シンプルな籐巻きや口巻きのデザインが多く、ノーブランドや自作でも恥ずかしくない時代があった。現在は橋本の竿師製が人気だが、柏の響、竿春ブームあたりから、皆ノセられていったように思う。ときわの商売が上手かったのもあるのだろう。僕も高額なローンを組んだクチだ。
「有名人こそ良いものを使って夢を魅せるべき」という論法は理解できるし、一理あると思うが、あまりにも行き過ぎて入門の敷居を高くしたことも事実だ。元々は旦那衆の遊びであった歴史を踏まえると、正しい姿に戻っているだけなのかもしれないが、サラリーマン釣り師が排除されているようで少し悲しい。皮肉なことに、この動画当時では笑われていたカーボン竿掛けが、現代では市民権を得ていることは、総高級化への反動であるのかもしれない。
動画内では、3人の生徒が全員「ダイワ」の「二天粋」を振っていることも驚きだ。今見てもカッコいいデザインだし、リアルタイムでも人気だったことは知っているが、現在なら全員「シマノ」だろう。この30余年の間に何が起きたのか、皆さんも是非一度考えてみた方が良い。
竿ついでに意外だった点。講師も生徒も、握りが深い。ビッグ(講師主宰のクラブ)系の人は皆握りが浅いというイメージがあったので驚いた。人によっては、小指どころかくすり指も必要としないくらい、浅い握りだったからだ。
ウキの動きとデカさとエサ落ち目盛り
ウキの動きが、近年のアングラーは見たこともないのではないか? というくらいに激しい。イマドキ、カッツケでもここまで湧かない。現在の僕的には、短ハリスは「食いの良い時」、「たくさん寄る時」専用ではないのだが、この動画のような動きの中で短ハリスが生まれたのも事実だ。動画のウキの動きなら、5-10で鬼ギマリになる自信はあるし、僕の師匠が短ハリスで北斗とゴールデンを席巻する時代は、この動画の数年後に訪れることになる。
ウキのデカさにも驚くかもしれない。イマドキでも、12~13尺いっぱいのチョーチンならそこそこのサイズになる理解はあると思う。オモリ2箇所巻きも然り。ただ、映っているオモリの厚み、ミチイトの張り具合を見るに、相当な量だ。おそらく1箇所で現在の2箇所ぶんはあるだろう。現在なら21尺、いや24尺いっぱいで使えるオモリ量に見える。これは魚影の濃さがイマドキと違うため、目的より上層のヘラを躱すためには必要な措置だが、ボソ主体のエサ使い、太めのミチイトのせいでもあると考えられる。
締まった小エサと違い、水中での抵抗が大きい「大きめのボソエサ」を「引っ張り下ろす」にはオモリのパワーが要る。暖期のミチイト0.8号は「意識高い系」だけが使用する号数だった昭和末期には、1号でも細糸の部類であり、1.2号は普通だった。1.5号がメーンのアングラーも普通にいた。僕自身がそうだ。
動画の中で釣れて来ているヘラの型を見ればわかるように、この時代には1.2号でも明らかにオーバースペックな強度だが、太糸を張らせることができるだけのウキのサイズ(オモリ量)とバランスが取れていたことは見逃せない。
巨ベラ狙いの3年2組(ミチイト3号ハリス2号)や2年1組に大きなウキを用いるのも、このためである。フィネスでライトなセッティングで釣りを覚えた最近のアングラーは、この辺りの感覚が欠落しているが、試しに3年2組に小ウキを装着してみれば良い。まともに立たないはずだ。ライン重量でオモリも相当に削られる。浅ダナでもやろうものなら、穂先~ウキ間のミチイトに引っ張られるし、僅かでも風流れが出たらどうにもならないことに気付けるだろう。
上級者なら気づいて欲しいのは、あれだけウキが突き上げられている状況で、エサ落ち目盛りをもっと出せという講師。当時の僕は理解できなかった。おそらく、現代のアングラーには尚更理解できないだろう。講師の解説は理に適っているのだが、肌感覚として受け入れにくい筈だ。
シン・ウルトラマンふうに言えば、「本能では混乱しているが、理性で受け入れよう」な事態であるが、これはいつか「トウガラシウキ理論」と合わせ、またあらためて書くこととする。
勤労感謝の死
親父が死んだ。実父との思い出に浸るべきところ、小池氏のことばかり考えているのは逃避なのかと思ったが、少し違う。小池氏と初めて竿を並べた精進湖が、5年前の夏。親父の認知症発症もその頃で、小池氏との噛み合わない会話、延々と続くテープレコーダーな話が、親父とダブるからだ。
親父の危篤前から小池氏のことを良く考える11月だったが、親父も逝った今、流石に親父オンリーモードに切り替わらない自分はどうかと思う。毎週の釣り場への送り迎えは記憶にあるし、育ててもらった恩も感じるし、自分のルーツが消失した認識もあるが、いまのところ、あまり悲しくはない。ヘラブナ5号の死(=全滅)の方が、ショックだったかもしれない?
とはいえ、晩年にもう少し優しくしてあげられなかったのかな、とは感じている。認知症が進んだこの一、二年は特に対応が酷かった。よく怒鳴りつけたし、正直、早く死ねば良いのにと思う日もあった。介護するお袋も限界だったし、長生きは決して幸せではないと感じ、自分の終活についてもあらためて考えさせられた。
認知症が進んだ時点で人間としては(少しの自我はあるが、動物並みに退化したという意味で)一度死に、脳梗塞で二度死んだ(意識の完全消失)。そして心停止で三度目の死(一般的な死)を迎え、やがて第三者の記憶からも消えて4度目の死を迎えることになる。そんな親父も、あと数時間で荼毘に付される。今日は1129(イイニク)の日。呪術廻戦の虎杖のセリフじゃないが、良く焼けるだろう。
1123(イイニッサン)が命日というのも、定年後に日産の子会社になった三菱自動車の元社員なら、ギャグになる。中卒で期間工として三菱入社。真面目に働き正社員登用を勝ち取り、定年まで勤め上げた。息子にはできなかった偉業だ。冗談を抜きにして、勤労感謝の日は親父に相応しい命日だったと思う(ちなみにこの動画の撮影日は、僕の誕生日です)。