ぶりぶりぶり
- カテゴリ- へら専科, ナリーズ, ヘラ釣り, 仕事
昨日10月3日(日)、緊急事態宣言明けを受け、ナリーズでは半年ぶりの月例会を開催しました。優勝は、サッちゃんこと伊藤幸子さんだったそう。僕なんかより遥かにクールだし、いつも上位に絡む実力者ですが、優勝はまだ2回目で、6年ぶりの快挙です。おめでとうございます。
「だったそう」というのは、会長である僕が不参加だったためです。実は昨日の僕は、仕事(へら専科の取材)で宮城にいました。スケジューリングの際、例会日である第一日曜日を外してもらうことを伝え忘れたため、ダブルブッキングとなってしまったのでした。
関係者の都合が出揃い、ようやく調整の済んだ日程変更を申し出る勇気は僕にはなく、会員のみんなには事前に欠席をお伝えしました。もちろん、お詫びと共にです。とはいえ、会員どうし久々の再会に水を差したことは否めません。あんまり言うと今度は取材関係者が罪悪感を感じてしまうので(笑)、今回のブログを限りにこの話題には触れませんが、半年ぶりの例会を心待ちにしていた会員の皆さんには申し訳なかったな、という思いで顛末を綴っておきます。
僕自身、会長不在の暗黒時代を過去にしようと皆勤を続けてきましたが、10年ぶりの欠席はショックでした。「ひとつの時代が終わった」感は否めません。いえいえ、気が抜けてしまった、とかいう話では勿論ないです。
いま思えば、いいタイミングでウェブをリニューアルしていたなと思います。本当は、ドヤ顔で例会に参加する予定でしたが(笑)、クラブ運営への情熱、そして会員全員への愛? が低下していないことの証明になりました(笑)。というか、ウェブなんか作るから欠席になったんじゃね? みたいな気も。洗車すると雨が降る的なね。むしろ神様は欠席まで知っていて、僕にウェブをやらせたんじゃないか、とさえ感じるのです。
というのも、昨日の僕がいた宮城弁天池さんは、ナリーズ会員である西山さんのホームです。西山さんは、転勤で関東から宮城に引っ越してもなお、いまだにたまに例会参加してくださる熱心な会員です。その西山さんが関東でナリーズ例会に参加している当日に、会長である僕は西山さんのホームに居るという不思議な巡り合わせ。
「どういう入れ替わりだよw」という話題は弁天池オーナーにも共有されており、早朝から会話に溶け込むことができました。西山さんが持ち込んで掲示していただいているナリーズ番付も、僕を優しく出迎えてくれました。感謝です。
西山さんには前日譚があって、土曜日に椎の木湖で行われたダイワへらマスターズ予選で、予選通過しています。おめでとうございます。つまりこの週末は、西山さんは土日両日とも関東にいたわけです。予選当日の土曜朝、西山さんの上京で思い出したのか、幹事長の泡舟さんからLINEがあり、「会長、西山さんも全国経験者ですが、リニュ後のウェブに記載がないですよ?」と。
「やべっ!」と感じた僕は、記載検討(検討と言ったけど当然に確約次項)の旨を泡舟さんに伝え、まずはやりかけの仕事をしていると、午後には予選通過の報が!
「おめでとうございます。ところで、西山さんの戦歴を教えて下さい。ウェブに西山さんのコーナーが漏れています。すみません…」
と、祝福とお詫びがセットになり、速攻でアップした、という経緯でした。
宮城弁天池さんに着いてのサプライズは、オーナーのお父様でした。どこかでお見かけした方だな? という印象はありましたが、「遠藤」姓が曖昧な記憶を刺激します。「間違ってたらごめんなさい」と前置きした上で、「その昔、ふまつげん愛用者大会でヒゲセットでぶっちぎり優勝された方ですか?」と尋ねると、ビンゴ!
遠藤パパ所属の名門「宮城ホリデー」さんは、「ふまつげん」系の僕にとって当時の憧れのクラブで、雜誌で活躍されていた会長の江口さん(現在もSNSで繋がっており、日中、「来るなら連絡してよ〜」とメッセンジャーをいただきました)とワンツーフィニッシュだったことを思い出しました。
「あの大会、江口さんとは実は同貫で、順位はジャンケンだったんですよ(笑)」
と謙遜されていましたが、一部の好事家を除き、関東では完全に廃れていた「トロ巻き(ヒゲ)」を競技にリバイバルさせた張本人様です。僕の中では、完全に偉業です。「遠くから眺めるだけだった人(挨拶くらいしたかなぁ?)」と、実に30年ぶりくらいで再会できました。
「遠藤さんや江口さんが着ていたチームふまつげんジャンパー、俺も欲しかった! モニターになるのが遅かったから貰えないのかよ!」
と、当時の僕は、こんなおバカぶりでしたけどね。流石に口には出してませんが(笑)。
さてさて、ヒゲセットのリバイバルは本当に偉業で、等々力一派の短ハリスが、暖期の固形セットに通用するロジックを確立できていなかった当時、「なじませ&締めたバラケ」でセットを成立させるためのクワセエサは、「おかめ」や「一発」(ともに切り麩)しかありませんでした。しかしながら、どこの釣り場でもほとんど禁止されていたのです(今もですね)。
「夏はエサとの距離なんかないんだから、理論上はガチガチに締めたバラケでいい」というスタンスから抜け出せず、暖期での「抜き」系バラケ(なじませますけどね)に辿り着けなかった僕らにとって、選択肢を増やすトロロというクワセは朗報でした。トロコン全盛の折り、しょっちゅう触っている素材に答えがあったとは。。遠藤さんたちのセッテイングも等々力同様に短ハリスだったこともあり、激しくショックを受けたと同時に、徹底的な研究を開始します。
「彼ら(宮城勢)のハリスは等々力よりは長め(昨日お聞きしたら10-20とのこと)だから、まだ攻める余地はある」
「下ハリスの張りは、ハリスを詰めただけでは確保できない。下バリは、上バリよりデカくていいくらいだ」
大型化ブームで口数が減ってセットの機会が増え、魚体の大きさから来るアオリも大きくなっていった過程で生まれた技術です。おそらく、等々力とは別のエリアでも、同時多発的に気付きがあったことと思いますが、ネットがなかった時代(技術者を除く一般世間)において、情報の共有は進みません。つまり、新発見のもたらす恩恵は、短期間でも発見者の独占となるのです。
ただ、ヒゲセットの研究は、「夏に固形セットを成立させるためにはどうするか?」と考える時間を等々力一派から奪ったことも事実で、「バラケの拡散範囲を短ハリスでコントロールする」という概念を広めた僕らの役目は、そこで終わったことになるんですね。後の暖期固形セット・冬の完全抜きセットの発見は、後の世代・他の地域のアングラーにバトンを渡すこととなりました。