セット釣り世代間ギャッ麩
先日、いわゆるトップトーナメンターの一人である伊藤泡舟さんとの釣りで、面白い話になったので紹介しておきたい。
僕が今年のへら専科8、9月号に書いた、「ビギナーでも知っておきたいだんごエサの考え方(前・後編)」は、実は事前に彼に読んでいただき、感想を聞いてからの入稿だった。紅白(白黒)をハッキリつけないと気が済まないまっすぐな性格で、歯に衣着せぬ物言いをしてくれる彼には、全幅の信頼を寄せている。釣技的、実績的には雲の上の人だが、同じクラブ(ナリーズ)の役員どうしなので役得というヤツだ。
で、発売前に内容に太鼓判を押してくれた彼だったが、既に11月号も出版されている今になって、こんなことを言い出した。
だんごとセットの関係性の解説は、とても腑に落ちるもので、異論を挟むものではありません。ただ現代は、自分のようにセットの練習だけで、セットの世界観(粒子感、距離感)を獲得した者もいる(たぶんほとんどがそれ)ので、いまだその世界から出てこない人達(だんご未履修)にはピンとこないのではないでしょうか
なるほど、と思った。記事の中では、「現代セット釣りが確立されて、はじめて現代だんご釣りも切り取り直された」と書いてある。だから「どっちが上も先もないのだ」とも。僕はだんご至上主義者ではないし、むしろセットしか知らない世代の方がよほど水中を考えて釣っているとさえ思っている。
だがしかし、その立ち位置こそがだんごマンとしての驕りなのだろう。現在のトーナメントシーンはセット釣りを中心に回っているのだから、だんごのことなんかどうでも良いのだ。であれば、セットを主役に据えた焼き直し版も書く必要がある。泡舟さんの協力も得ながら、いつかカタチになる日が来るかもしれない(翌2022年3、4月号にて実現済み)。
端的な違いとしては、セットは食わせるための芯が要らないことだ。しかし、バラケを「入れる」ことがキモとなる局面は多い。その感覚差を、だんごをやらずして共通認識にできるか否かが、ポイントになるだろう。
なんで食わせないのに入れる必要があるのか。「タナの安定を考えて」、というような曖昧な? 従来の説明では納得しない人達の腑に落ちる解説を発見する必要がある。おそらく、この発見こそが、無闇矢鱈と抜きたがる人達を諌めることになるはずだ。
そんなことを考えていたら唐突に、「抜いちゃえば下ハリスなんか短くていいんスよ!」という若者のイキりが頭に浮かんだ。いわゆる「ウキから下全部がハリス論」。実はこれは、アタリを伝えるテンション確保という意味ではなく、拡散範囲の観点から長ハリスが不適なのだと気づいた。ノーシンカーではないのだから、前者は「フツー」の長さでもテンションは失われない。むしろ大事なのは後者で、ウキ下分の拡散が得られない時、ハリス長すぎ状態になる危惧があるため、短ハリスにしておく必要があるのだ。
ということは、接近戦が成立する時合いでは、ウキ下分のハリスでは長すぎて拡散とハリスが噛み合わない可能性がある。だからバラケを締め(入れ)なければならないのだ。この辺が突破口かなぁ〜。
余談。泡舟さんは、理詰めの釣りこそ、おそらく再開後のスタンスだが、幼少期は底釣りからだんごまでマスターしていた天才少年だったことは見逃すことはできない。なんせ管理池の息子として生を受けたサラブレッド。「セットだけで釣りを覚えた」的な謙遜を鵜呑みにすると、痛い目にあうのでご注意のほど。
40目前(40過ぎ?)に釣りを始め、トーナメントシーンを駆け上がったシンデレラ・ボーイ(おじさん)として、彼から勇気をもらった方々には気の毒だが、そんなにヘラ釣りは甘くないですよ。。