「練る」についての歴史

とある古いサイトを見ていたら、「『エサは練るなと教わった』が、大昔は練らずに持つエサなどなかったので、こっそり練ったものだ」という記述を発見した。正解のエサを秘匿するために「練っていない」ことにした、という話ならまだわかるんだけど、増粘剤入りの新エサの登場に合わせ、「今度こそ本当に練らずに使えます!」というキャッチコピーに繋げていくのを見て、閉口した。

いやいや、これは歴史の改ざんだろう? いくらなんでもマズいよ。筆者の釣り歴は僕より長いんだろうと思うけど、明らかなウソだと自覚している筈だ。古書店で買い漁った当時の専門誌を読んだって、メーカー問わず、どの名人も「いかに持たせるか」に腐心していた歴史は消しようがないし、その過程で「戻しエサ」なる用語も生まれてきた筈だ。

釣り歴の浅いアングラーを騙し、特効薬的な売り方をしたかったにせよ、これはNG。正しい歴史は、①練らないと持たない→②練らなくても持ちやすい→③練ったら持ちすぎる→④練るな(イマココ)、だと思う。時代はすでに②〜③になっていたあたりで、「増粘剤入りエサ」の後発メーカーが、元祖を気取るコピーを使いたかったのはわかるんだけど、ストーリーをでっちあげるのは、やりすぎだと思う。

僕自身は、練った芯と、増粘剤でコートした芯は別物だと考えている。そのため、「練るな」にはものすごく抵抗を感じる。これは懐古趣味ではない。まず、軟らかくした時の開きがぜんぜん違う。「軟らかくしても持つ」と謳われていても、僕が求める軟らかさとの乖離は否めない。要は、増粘剤に頼った芯は、水分が限界点を超えると、増粘剤が溶け出しバラけ過ぎてしまうのだ。点で接着していただけで、お麩どうしの圧着は弱いわけだから、コシもなくなるし、一気にもたなくなるのは当たり前である。

あくまでも私感だが、増粘剤でバラケを抑えるのは、ボソ系の硬めのエサでこそ有効だ。軟かいエサの粘り調整には向かない。カッツケをやる人が減って、「究極の一発取り」を体感したアングラーも減ったことが大きいと思う。

粘りにブレーキをかけるバラケ性の良いエサも少なくなった。焼きの強い硬い麩であれば良いという単純な話ではなく、だんご釣りでの使用時の口当たりを考えれば、そこそこ軟かいながらも復元力のある麩が求められる。全く理解されないと思うが、個人的感覚で一言で言えば、「透明感」のあるエサ。

「ふまつげん」倒産以降20年近い間、理想の麩を求めて彷徨ってきた。理想のエサ、近いエサに巡り合うことは度々あったが、残念ながら多くが、短命もしくは不人気で入手困難であった。僕は今も透明感を求め、複数メーカーのエサを渡り歩く難民である。

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